【継続は力】 名もなきおじさんの人生後半戦!

生まれて半世紀が過ぎました。人生100年時代も後半戦。名もなき普通のおじさんの今持っている情報と、 これからの新たな学びや発見を気ままに発信します。

#18 【競馬】天皇賞秋 芦毛の先輩タマモクロス意地の勝利(1988)

今週末 10/31㈰は衆議院総選挙の日であり、また競馬の天皇賞の日でもあります。

私は今でこそ たまにテレビやネットでG1レースを見る程度になりましたが

こどもの頃からなかなかの競馬好きで、特に20代のころは頻繁に京都や阪神

通っておりました。

 

G1はあまりにも人が多いのでテレビで見るとして、比較的ゆったりとしている

土曜日を中心にお昼前の障害レースから見始めて 

だいたいメインレースまでには負けが混んでいるので

最終12レースで取り戻そうと最後まで頑張ってさらに負ける・・・そんな日々を

過ごしておりました。

 

頻繁に通っていると 時折、見るたびに強くなり、条件レースを突破して

オープンレースさらには重賞へと駆け上がっていく馬に出会えるもので

賭け事という楽しみもありますが、馬の成長を見届けるような楽しみも

感じていたように思います。

 

さて、天皇賞秋 東京競馬場2000m

スタートしてすぐに左にカーブするため外枠の馬が内に殺到しやすく

それがもとで位置取りがごちゃごちゃしやすかったり、また逃げたい馬が

逃げられなかったり、先行を意識するあまり思わぬハイペースになったりで

かつては一番人気が何年も勝てない 「荒れるレース」として有名でした。

その最たるものは1992年

まれにみるハイペースに巻き込まれ直線で先行馬が失速 

一番人気トウカイテイオーが7着に敗れ、

11番人気でほぼノーマークのレッツゴーターキンが追い込み勝ちをきめました。

私はその時は旅行に出ており、旅先でテレビ観戦をしていたのですが

旅行中という非日常感とともに画面に映し出される信じられない光景に

唖然としたものです。

 

もう一つ 今日とりあげたい天皇賞秋のレースは 1988年

タマモクロスオグリキャップ ともに芦毛の両馬。

 

地方の笠松競馬で連戦連勝、中央競馬に活躍の場を移した後も

この天皇賞まで6連勝の快進撃。地方競馬出身のサクセスストーリーも相まって

ハイセイコー以来の競馬ブームを巻き起こす3歳馬オグリキャップ

 

一方 3歳クラシック未出走の条件馬だったものが3歳暮れから本格化し

4歳で天皇賞春、宝塚記念などここまで破竹の7連勝の4歳馬タマモクロス

 

人気は初のG1だというのにオグリキャップが1番人気、

実績優位のタマモクロスはアイドル的人気を誇るオグリキャップの後塵を拝し

2番人気。陣営としては中央競馬の大将格のタマモクロスが地方の成り上がり者

オグリキャップに負けるわけにはいかないという相当な意地があったことでしょう。

 

どちらも馬の脚質的には中団待機からの差し切りを得意としていたのですが

絶対に負けられないタマモクロスはこの日は思い切った先行策で2番手追走。

馬群につつまれることもなくインコースを淡々と進んでスタミナ温存。

直線では早めに先頭に立ち、中団から外目を回って追い込んでくるオグリキャップ

を完封し、天皇賞春秋連覇を達成したのでした。

 

1年先輩のタマモクロス 4歳秋は人間で言うと20代半ばの全盛期と言ったところ

当時3歳秋のオグリキャップは高校生か大学生 伸び盛りの若武者と言ったところ。

タマモクロス陣営の方がプレッシャーは大きかったでしょう。

もし追い比べで負けてしまうと天皇賞春、宝塚記念の2冠馬の名声に傷がつきます。

先輩の貫禄などという生易しいものではなく、

綿密な作戦のもとなりふり構わず勝ちに行ったように私には思えます。

 

ちなみにこの2頭は 次のジャパンカップで再戦。

1着は外国馬でしたが、タマモクロスが2着、オグリキャップが3着でまたも

タマモクロスが先輩の面目の保ち、

その年の暮れ 有馬記念ではタマモクロスの引退レースでありましたが、

ついにオグリキャップタマモクロス

を敗り先輩に引導を渡したのでした。

 

当時私は18歳の受験生でしたが2強対決には勉強も手に付かず

しばし目を奪われたのでした。

 

興味を持たれましたら是非動画をご覧ください。

 

<1988天皇賞秋 JRA公式動画>

https://www.youtube.com/watch?v=dYPsKXqAH20